短期集中連載
それはロードレーサーのほんの遊び心から生まれた
長い自転車競技の歴史の中で最も新しい種目とされる一つがマウンテンバイクだ。
シクロ、サイクルといった馴染みのある自転車のカタカナに比べ、バイクとなると日本ではオートバイを連想してしまうが、レッキとした英語でアメリカでネーミングされた“山を駆ける自転車”である。
1970年代の終わり、若く冒険心に富んだロードマンの一団が、いつもの練習コースである舗装路から外れ、山につながる未舗装道路に踏み入れたところから歴史は始まった。彼らはアメリカはカリフォルニア・サンフランシスコ郊外を本拠地とするロードレーサー。地元ではかなり好成績を残すこともあるが、人一倍好奇心と冒険心のあふれた点が他のメンバーとは違っていた。金門橋と日本では翻訳されたゴールデンゲート・ブリッジを渡ったサンフランシスコの高級ベッドタウンとして知られる一帯の奥には小高い山があり、そこには山火事対策用にファイアーロードと呼ばれる未舗装の道路があちこちに走っていた。
「あんなガタガタ道を登り降りしたら面白いな」
そんな発想はやがて登った後の一気の下りで開花する。後のダウンヒルレースである。当時はリパックレースと呼ばれ、頂上まで挙げてはヨーイドンで早いモンが勝つというシンプルでいささか無謀な遊びレースであった。
しかしながら問題は自転車。なにせ強度の乏しいロードレーサーではすぐにパンク、フレームトラブルが続出である。何度となく工夫と改良が施され、オートバイのタイヤ、BMXのハンドル、自転車もウン十年も前のクラシック自転車のフレームまで持ち出して創りあげたのがマウンテンバイクの原型である。
ジョー・ブリーズ、ゲイリー・フィッシャー、トム・リッチー、チャールズ・ケリー...マウンテンバイクの歴史に名を連ねる彼らがほんの遊び心で世に送り出してから、またたく間に世界を席捲するまでほんの10数年前のことである。
野火のような広がり
原型が出来てからのマウンテンバイクの発展はハード、ソフト両面から電撃的な広がりを見せた。その理由はなにより“遊び心に富み、冒険心に熱いアメリカ人が創り、遊ぶ”ところが大きいのだが、未舗装、オフロードを走るという自由奔放な条件も無視できない。しかも道具が自転車という誰でもが思ったら即乗れるという気楽さ。これにアメリカの恵まれた豊富な自然環境が目の前にふんだんにあるのだから普及は一気に進んだ。カリフォルニアからコロラドに飛び火し、あとは野火のようにアメリカ中をブームに巻き込んでいく。
普及の追い風はハード面の進化だった。ダウンヒルに耐える強いフレームやタイヤ作り、変化の激しい状況に耐えながら素早く対応する変速機やブレーキ等の部品...アメリカならではの個人の工夫や開発がビジネスチャンスになる風土は新しい製品を次々と生み出していく。その中にはアメリカで活躍する日本の自転車部品メーカーの姿もあった。サンツアーは最も早くから係わったメーカーだが、当時の河合社長と子息・一郎氏は情報を日本に送り、普及を進めた功績は大きい。
部品の開発・販売、促進とともにメディアを通じて、まだ日本では全くといっていいほど知られていなかったニューウエーブ自転車を他の国に先駆けて知らしめた結果、アメリカ以外で日本は世界で最も早くマウンテンバイクをスポーツとして導入することになる。
日本マウンテンバイク協会 会長 鷲田 紀夫